世界中の人々が憧れるハイブランド世界ナンバーワンとも言える「エルメス(HERMES)」。
日本では女性にはバッグやスカーフ、男性には長財布やベルトなどが人気なんですよね♪
本記事では、そんな日本での人気No.1のエルメスについて、人気になった経緯とブランドNo.1に頂点に昇りつめて行くまでの歴史を振り返ってみることで、その人気の秘訣を探ってみたいと思います*^^*
お楽しみにしてくださいね☆
エルメス(HERMES)の日本での人気は?どんなアイテムが人気なの?
エルメスのアイテムの中で、日本人女性に人気なのはやっぱりバッグですよね♪
そして、そのバッグの中で、誰もが注目を集めている人気最高峰なバッグこそ、ご存知『バーキン35』です!!
ご存知の方も多いかもしれませんが、海外での人気は、実は『バーキン40』なのですよね。
日本人女性の体格にはバーキン35の方が馴染みやすいため、人気となっているようです♪
ここで少しだけバーキンの話を詳細にしたいと思います。
バーキンには次の5つがあり、それぞれサイズが異なります。
- バーキン25
- バーキン30
- バーキン35
- バーキン40
- バーキン45
バーキン25、バーキン30、日本人女性に人気のバーキン35、海外で人気のファーストバーキンと言われるバーキン40、そして希少なバーキン45と用途によって使い分けのできるサイズ展開になっています。
バーキンに関するこれらのウンチクをちょっとだけ知っておくと、色んなシーンでお役に立つと思いますよぉ~♪♪^^
さてさて、日本人男性の場合、エルメスは財布やベルトが人気です♪
男性の場合は、さりげな~くエルメスを持つことがステータスになっているんですよねぇ~♪^^
次に、ギフトとして人気のアイテムもご紹介していきますね♪
女性へのギフトとして人気のアイテムは、スカーフや財布です。
スカーフは毎年新しいデザインが発表されていますし、エルメスのスカーフには美しいカラーに吸い込まれるような魅力がありますよね☆
財布は、ベアン・ベアンスやフレアザップシルクインやシンプルでエレガントなドゴンなどが人気です。
ベアンは象徴的なエルメスの頭文字【H】が留め具についている財布です。
エルメスの財布の中でも多くの方がイメージできる有名な財布です。
ベアンはこちらの記事でもご覧ください。
アザップシルクインはその名の通り、財布の内側にスカーフのような鮮やかな色彩のシルクを使用しています。
外側はシンプルかつ上質なレザーのラウンドファスナータイプの財布ですので、財布を広げた時の見た目のギャップは息を飲む美しさです。
内側のシルクの鮮やかな色合いを外側のシンプルな外観が引き立てています。
ドゴンは、他のエルメスの財布と比べるとシンプルなデザインですが、収納力が高くセリエボタンがポイントで、男性にも人気が高いですね。
男性へのギフトとして人気のアイテムは、財布やキーケースです。
財布はレディース同様ベアンが人気です。
また、スーツをよく着る男性には、スマートでスーツからスムーズな出し入れのできる、長札入れのフレミングがおすすめです。
薄いスマートなお財布にはカード入れは必須ですから、フレミングはスマートなデザインですが、取り出しやすいカードポケットが5つ付いているので、カードを幾つもお持ちの男性には人気が高いです。
お財布の外側にはロゴは入ってないのですが、見るだけで素材の上質な革の高級感を感じられるほどの半端ない存在感があります。
すでにエルメスのフレミングなどの、小銭入れのない長札入れを使用している男性には、使い勝手も素晴らしい小銭入れも喜ばれますよ。
☆カラーもデザイン展開も豊富ですので、差し色になる色味を選ぶのもセンスが光りますね☆
キーケースは財布のデザインをそのままに、カラフルな色展開をしているベアンがおすすめです♪
エルメス(HERMES)が日本に上陸したのはいつ?誰が初めに手掛けたの?
エルメス(HERMES)は、 1964年に茂登山長市郎氏がエルメスとのフランチャイズの契約を結び、日本の銀座にエルメスが初めて上陸することになりました。
エルメス日本上陸をさせた、茂登山長市郎氏とはどんな人物なのか、エルメス日本上陸までのお話をご紹介しますね。
茂登山長市郎氏は、1921年(大正10年)に生粋の江戸っ子として、東京は日本橋で生まれました。
その後も東京で育った茂登山氏は、祖父が築き上げた高級なニット雑貨を扱う卸問屋を継ぐつもりでいました。
しかし、1941年に起きた大東亜戦争により、茂登山氏も従軍することになりました。
行き先は中国の天津にある、外国人慰留地でした。
その天津で茂登山氏は自身の人生を大きく動かす出会いを経験します。
初めて見る欧米のものたち。
文房具に始まり、ファッションや家具など…
見るもの全てが茂登山氏に衝撃を与えました。
戦争が終わり、無事に日本に帰還した茂登山氏は、外国のものを手がけるという思いを胸に実父の経営するお店に場所を借りて、アメリカ製のブランドの商品を扱うお店を開始しました。
現在も続く「サン・モトヤマ」を創業したのは1955年でした。
1955年といえば、後楽園遊園地が完成した年です。
まだ東京タワーも建設される前でしたので、東京の風景も今とは違っていました。
「サン・モトヤマ」は創業後、茂登山氏の持ち前の江戸っ子の粋、商人の心を存分に発揮して、順調に売り上げを伸ばしていました。
この頃にまた茂登山氏の今後を変える出会いがありました。
その名は、写真家の名取洋之助氏です。
名取氏は茂登山氏の10歳年上の写真家です。
この名取氏との出会いにより、茂登山氏は視線をヨーロッパに引き戻す事になります。
1959年に初めて茂登山氏はヨーロッパへ向かいました。
ヨーロッパでは、美術館などヨーロッパの文化に触れ、さらには、名だたるブランドの本店へ行きウィンドウショッピングを重ねました。
何度も本店へ足を運び交渉を重ねて、その熱意でフェラガモやバリー、グッチと取引を開始しました。
そして、エルメス。
エルメスとの交渉はなかなか難しく長い期間断られ続けましたが、持ち前の江戸っ子の熱意で交渉を重ねて1964年にエルメスとのフランチャイズ契約をする事が出来ました。
ついにパリから日本へエルメスがやってくる事になったのです!
この出来事をきっかけに日本でもエルメスの名が知られるようになり、現在でも日本の人々の憧れのブランドとなっているのです。
エルメスはその後は百貨店等が買い付けを行ったりと日本全国に広がりました。
そしてついに2001年。6月28日に銀座に「メゾン・エルメス」が日本においてのエルメスの情報発信の本拠地として華々しくオープンしました。
1964年に日本に初上陸したエルメスは、その上陸から半世紀たった現在でもこれからも人々の憧れであり続けますね☆
今回は、エルメスの日本での人気についてと日本に上陸物語をお届けしました。
いかがでしたか?
エルメスのバッグや財布はデザイン性だけでなく、ポケットや収納力もある機能性あるハイブランドの名前に負けない商品だということをご理解いただけましたでしょうか?
あなたも自分の、大切な方へのご褒美にプレゼントしてみてくださいね♪
手に触れるだけでわかる職人の心遣いをぜひ感じてください☆
800-4